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「古書 千宗旦」
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古書 千宗旦

千宗旦

祖父の悲劇から政治を避けた茶人、骨董買取・千宗旦。 千宗旦は、あの千利休の後妻の連れ後、千少庵と、千利休の実の娘お亀の間に生まれました。過去には千利休の実子の息子であるという説がありましたが、近年の研究でその説は否定されました。しかし、織田信長、豊臣秀吉と天下に名を轟かせた戦国武将の元で活躍していた千利休の血を受け継いでいることは確かであり、千宗旦が晩年に作り上げた茶室は究極の茶室と呼ばれています。茶人としての才は祖父千利休に及ぶものであったことは疑いようもないでしょう。しかし、千宗旦は千利休とは違い、政治から身を遠ざけていました。それは、祖父である千利休が豊臣秀吉により切腹を命じられた悲劇的な事件が原因だったのでしょう。ですが、千利休が残した侘び茶の精神を忠実に受け継ぎ、それを徹底する人生を歩み、「乞食宗旦」と呼ばれていたそうです。ただ、千宗旦は自分の子供達への出世には大きな関心を示していたそうです。祖父のような悲しい出来事が起きることがある当時の政治でしたが、やはり父としては、自分の子供達が出世し世に名を轟かせる姿が見たかったのでしょう。 千宗旦が手掛けた竹の花入で、「普化」という作品があります。この作品に使われている竹は少々傾いていて、またひびが所々に出来てしまっています。しかし、その傾きは、まるで今もその竹が生長しているような、息吹のようなものを感じさせます。また、ひびは花入の装飾のような効果を持ち、竹で出来ているからこそ持つことが出来る独特の味を感じることが出来ます。この傾きとひび割れは、千利休によって極められ、千宗旦にまで続いた侘びというものを表しているのかもしれません。この「普化」を道で拾って「おお、良い花入だ」と思う人は恐らく居ないでしょう。「普化」という花入だけでは、それが持つ侘び、独特の雰囲気を出すことは出来ません。この「普化」が最も輝きを放つ場所は、やはり茶室でしょう。かつて、千利休が庭の朝顔を全て切り取り、厳選した一輪の朝顔だけを茶室に飾ったという話があります。この「普化」も、そんな一輪の朝顔を美しく輝かせるために用いられれば、最上の味を茶室の中で醸し出すことが出来るのではないでしょうか。 天下人二人に使えた天下一の茶人、千利休の子孫であった千宗旦。千利休が残した侘び茶の精神や、政治に関わってしまったことで悲劇的な最期を迎えなければならなくなってしまったという教訓をしっかりと彼は受け止め、その人生を茶人としては華やかなものにし、政治に関しては静かに歩んでいきました。しかし、彼は子供達の出世を願い、それの手助けをしていきます。その思いは、現代に至っても成長の息吹きを感じさせる「普化」にも表れているように感じました。